創立30周年を迎えて

2004.12.24  大泉あさひで通信 第5号

 大泉旭出学園及び旭出生産福祉園が創立されてから30年が経ちました。創立当時から利用されたり関わってこられた方々は、あっという間の30年だったかもしれませんが、考えてみるとずいぶんと長い年月です。そのずいぶんと前に、故三木安正先生は、障害をもった方に対して、生涯を通しての教育の場、生産的な仕事に従事して意義ある生活を送りうる場をつくることが必要だと考えられ、まさに先進的に、法人をつくり福祉園を開設されたわけです。

 30年の間に、障害者をめぐっての社会状況や施策は大きく変わってきました。近頃では、障害者の人権の尊重が謳われるようになり、閉じられた施設処遇から開かれた地域での生活支援ということが強く叫ばれています。しかし、考えてみるとこのような処遇こそ、福祉園開園の際にすでに志向されていたものだったといえましょう。それだけ先進的な取り組みだったと思います。

 もちろんこの30年の間に、法人及び施設が発展を遂げてきたのは、施設の利用者やご家族、法人や施設の役員や職員、さらに地域の方々を始め関係する多くの方々の絶えざるご支援の賜物であり、改めて心より感謝申し上げます。

 これからの施設の在り方については、行政の仕組みや財政状況とも関係して、様々な困難も予想されますが、さらなる前進に向け努力を続けてまいる所存です。どうぞ引き続きのご支援、ご鞭撻をお願いする次第です。
                                                        
                                       (大泉旭出学園理事長 上出弘之)






      創立30周年を迎えての課題

2004.12.24  大泉あさひで通信 第5号 

 社会福祉法人大泉旭出学園の認可を得て、授産施設「旭出生産福祉園」を開設した30年前の当時は施設の創設が勢いを増す時代であったといってよい。

 30年を経た現在は日本にもノーマライゼーションやインクルージョンの理念が広まり、障害そのものについても単に個人の身体的又は精神的な機能の欠損や不全の問題だとするとらえ方ではなく、生活環境条件との関連での生活のしづらさの如何をも問題とする包括的なとらえ方がなされるようになった。

 そして障害者の地域生活支援や「脱施設」と称した施設解体を意図する展開を迎えたことになる。しかし、理念と現実の狭間で課題を抱え、先行きが定まらぬ状況が続いている。

 30周年とはいっても「旭出」の源は、戦後間もない昭和25年、親の願いにより始まった全く私的な取り組みであり、それが現在の旭出グループの教育と福祉の事業を連携した取り組みに至っているわけで、旭出の歴史的経過という意味では54年が経っていることになる。またこの旭出の取り組みは、戦後日本の知的障害児(者)に関わる教育・福祉の縮図といっても過言ではない。

 障害をもつ子のための教育の場をなんとかしたいという親の願いから学校をつくり、その卒業後をなんとかしたいという願いから施設をつくり、さらに親亡き後も含めた老齢化への生活の道筋を確保したいという願いは、単に旭出の親の願いにとどまるものではないはずである。こうした願いを真摯に受け止めるところに今後の事業展開に向けた古くて新しい課題があると改めて考える次第です。 

                                       (旭出生産福祉園園長 浅井 浩)




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